awntan_52のブログ

あんなこと、そんなこと、どうでもいいこと。 気まぐれに書いてます。

本当の自分はない。

自分探しの終わり


本当の自分はない。自分探しに奔走する人に結論をいえば、この一言に尽きます。本当の自分に対する言葉で「偽りの自分」とか「自分に嘘をつく」というものがありますが、果たして自分で自分に嘘をつくことができるのでしょうか。

わたしは自分を形成するのは他人だと考えています。他人という存在があってはじめて自分という存在に気づくことができるからです。子育ての経験がある人は思い出してみてください。ほとんどの場合、赤ん坊が最初に口にする言葉は「ママ」「パパ」であって「わたし」ではなかったことを。

時が経つにつれて自分の名前を「ミクちゃんは―」などと言うようになりますが、これも自我というよりは両親や家族からそう呼ばれてオウム返しで反応しているだけでないでしょうか。「ボク」「ワタシ」のような一人称の自分を認識するのは、さらに後になります。

子供の成長を見てもわかるように、生まれつきの「自分」という概念は存在しません。人間は社会的動物といわれます。他人の存在から相対的に自分を知るという点で、これは的を射た言葉だと思います。人間は、他人をとおしてでしか自分という存在を認識できないのではなでしょうか。

自分らしさで悩む人がいます。自分らしさとは、端的にいえば他人が認識している、これまでのあなたの傾向でしかありません。「あなたらしくない」と他人が言ったとき、それはただ単にその人が把握していたあなたの傾向が、今回は異なったということにすぎません。人間は変化します、その程度のことを気に病む必要はありません。

本当の自分を探したい。この思いは、今、他者から受けている自分の評価と自分自身でこうありたいと願う評価のギャップから生じています。このギャップは、どこかを探して埋まるようなものではありません。ひたすら願望に近づくよう鍛錬、精進して自分自身を高めていくしかないのです。