awntan_52のブログ

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出る杭!? 自分が批判されたことをブログで公開する心の卑しさが批判を呼ぶのに気づくべき

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ブログで「自己開示」する人にうんざりします。特に誰かに「批難・批判されて凹んだ」、自分は自分の好きな人のために頑張っていこう的な投稿を見ると「お前、何なの?」と思います。どれほど表面を取り繕っていてもその人の品性の卑しさを感じます。ブログですることではない。

人は自分に対して内面の弱い部分を見せてくれた相手に心を開く傾向があります。これは「自己開示の法則」と呼ばれる強力な心理です。

真面目な人、几帳面な人が弱みや秘密、つらい過去などを打ち開けてきた。そんなシチュエーションは相手に対する印象を大きく変え一気に親近感を覚えさせます。これは意識している、していないに関わらず人の心を激しく揺さぶります。

なぜ批難されたことを吐露する人を嫌悪するのか。こうした内面の自己開示をブログでする人はその「効果」を計算しているにちがいないからです。本当に凹んだら、個人的に信頼のおける人に相談するか、自分で抱えていけばいい。それを多数の自分の同調者がいる場を選んで行う「根本思想」にズルさを感じます。

自分は他人に何ら害をなしていない。なのに、なぜ「批難・批判」をされるのか。

このような人は、この問いに次のような回答を見出します。「ああ、釈迦でもキリストでも迫害されたもの、凡人の自分が批難されるのは仕方のないことなのだ」。だいたいがこの発想で批難をされた現実を都合よく再解釈し自己肯定します。

コメント欄には同調者の同情や慰めが寄せられます。しかし良識のある人はこうした投稿はスルーします。卑俗の臭いを嗅ぐからです。

承認欲求の塊。あなたは釈迦でもなければキリストでもない。火のないところに煙は立たない。「出る杭は打たれる」と言うが、自分を「出る杭」と称してはばからない厚顔無恥が、他人の不興を買うのを知るべきです。見透かされている。

批判されて凹んだことをシャアシャアとブログに書く心根の卑しさこそが批判を呼ぶ元凶。このことを自覚したほうがいい。偽りの弱さを売り物にするな。

( °◡°)