awntan_52のブログ

あんなこと、そんなこと、どうでもいいこと。 気まぐれに書いてます。

悲しい・残念だ、という言葉のいやらしさ

「相手に直接文句を言わない紳士的なわたし」を演出したいだけ

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SNSの世界は不思議です。明らかに相手を非難しているのに「残念だ」「悲しい」「違和感がある」という言葉を使う人が多いからです。わたしの場合は相手に非があると思ったときは、もっと直接的な表現を使います。

たとえば「馬鹿だと思う」「嘘だ」「間違っている」という表現です。読み手の判断に任せるときは「いかがなものか」と書きます。自分が嫌だと感じる場合には「不愉快だ」と明確に言い、怒ったときは「ムカつく」と言います。

今年の初め、あるひとにわたしから「不愉快だ」というメッセージを送ったことがありました。そのときの返信が「残念です」というもので、不愉快な人間は、こうした返信も下卑たものになる、と思いました。

普通はそういうときに「残念です」とか「悲しい」は使いません。意味が全然違うからです。それでも「残念」「悲しい」という自動詞を使うのは「相手に直接文句を言わない紳士的なわたし」を演出したいのでしょう。自重というのでしょうか。

つまり、人格者は相手を罵倒したりしないのです。自分は冷静さを失ってはいない、相手がどんな不埒不届きなことを言っても「残念」くらいにしか思ってやらないぞ、という大らかな態度で見栄を張るのです。

この頃は、残念という言葉が変化していて、自分の感情を表現するものではなく、相手に対して「残念という評価」を与えるものになっています。「私は残念に思います」という意味ではなく「あなたは残念なひとですね」という意味――。

言葉は良い言葉を使うべきだと思います。でも、どうしても自分の気持ちを相手に伝えるために「汚い言葉」を使うのであれば、直接的な表現で、そうした言葉を使った自分も責を負うべきでしょう。これが覚悟です。

それを「残念だ」「悲しい」という自動詞で、婉曲的に非難し、わが身の保身を図るのは卑怯です。ネットに蔓延する「残念だ」「悲しい」は屈折した怒りの表現です。腹が立ったときは「テメェ!馬鹿野郎」の方が言葉は乱暴ですが健全な気もします。

( °◡°)