awntan_52のブログ

あんなこと、そんなこと、どうでもいいこと。 気まぐれに書いてます。

非典型的な学生を集めるには

本当に非典型的な人は、そもそも学校に行っていないかもしれないから

f:id:awntan_52:20151111084140j:plain

東京大学が、推薦入試を実施し、その志望者が学部によっては定員を割った。数学オリンピックやプログラミングなど、「異能」の基準が高いと認識されたことや、各校一人という推薦枠の少なさが原因と言われている。

数学オリンピックや、プログラミング能力など、特定の分野で才能を発揮する人を合格させるという方針自体は正しい。ここで重要なのは、何が、才能発揮の基準になるかということは、予め明示的なリストで網羅することはできないということである。 非典型的な能力の発揮は、まさに非典型的であるがゆえに、どのような条件を満たせばその閾値をクリアできるのか、ということがあらかじめ指定できない。だから、推薦入試の資格案件は、チェックリストで書くことはできない。

推薦枠が、各校1名というあり方には、大きな問題がある。本当に非典型的な人は、そもそも学校に行っていないかもしれないからである。本来は、大学入学資格から、高等学校卒業ないしは大検という要件を撤廃しないと、非典型的な人は排除されてしまう。

推薦で求められる学生像が、学部によって違う、ということも、違和感がある。 http://www.u-tokyo.ac.jp/stu03/e01_26_j.html … リベラル・アーツという視点からは、本来、学部の枠を超えて専攻、副専攻が設定できるようにすべきであり、求められる学生像は、単一であるべきだろう。 このように、推薦入試の現状にはさまざまな課題があり、そこには、日本の持つ教育観、学力観が未だに反映されている。センター試験の点数も目安にすべきではなく、何の条件も課さずに実施するAO入試が本来の姿だと思う。

非典型的な能力とは、つまり、たとえば数学の実力がずば抜けているが、英語は苦手、現国の問題も解けない(というか、興味が持てない)というような学生に現れてくるのであり、今回の東大の推薦入試は、結局、標準的な全方位型の学生を取るという政策の微調整であるように見える。

そうは言っても、推薦入試で、求められる学生像の記述が行われたことに、一定のアナウンス効果はあるだろう。センター試験の点数などの目安を、さらに柔軟なものにした時、初めて本当に非典型的な学生が集まってくると思う。今後のさらなる改革に期待したい。

( °◡°)