読み手が自由な捉え方ができるような書き方
実は、何も言っていない
記事を書くとき心がけていることがある。それは、いろいろに解釈できるように書くということだ。あえて一通りの読み方ができる書き方をしていない。
投稿したエントリに他の人からコメントやメッセージをもらったり、紹介をしてもらったりすることがある。これにはとても感謝しているが、私が設定した主題や意見とはまったく異なっているものがほとんどだ。
しかし一方で、多分「ここでこう感じるだろう」とか、あるタイプの人は「ここで反感を抱くかも知れない」という想定通りの感想や印象を持ってもらえている。そうした意味では、こうした読み手の反応は書き手の目的が達せられている証拠ともいえよう。
ひとつタネを明かしをしようか。実は、何も言っていないのだ。
たとえば「ブログは毎日更新した方が良いといわれるが、毎日でなくても内容の濃い記事を投稿した方が良いという意見もある」こんな書き方をする。これは一般的なブログ論を観察して記述したにすぎない。私自身は、毎日更新すべきだとも、投稿日は減っても内容の濃い記事を投稿すべきだとも考えていない。
例示した文章なら「毎日更新している人は内心穏やかではないかも知れない」とか「更新の少ない人はしっかり書けば今のままで良い」と解釈するかも知れない、ということを予想しているだけだ。
客観的に読めば、内容の濃い記事を毎日投稿するのが良さそうだ、と捉えるかも知れない。しかし、内容の濃いというのも抽象的である。要するにこのブログは、読み手の好きなように感じてもらえば良い、ということである。
確かなことは、このブログは創作で世の中はいろいろだということに尽きる。
( °◡°)