肩書きなんて、一切要らないと思うけど。人間は人間だから。
「容疑者」呼称についての議論を呼んでいるみたいだけど、日本人は肩書フェチなのかな、と思う。
英米のメディアで、つかまったひとや、裁判にかけられているひとも、「Mr. なんとか」と報じられていることは事実のようで、日本のメディアの「・・・容疑者」や「・・・受刑者」「・・・被告」といった報じ方とは、文化が違うのは確か。
事件や話題のときも、「主婦のなんとかさん」とか「会社員のなんとかさん」と報じるのが好きで、単に「Mr. なんとか」とか「Ms. なんとか」とは報じない。
なんか、肩書きのようなものがないと、落ち着かない、という社会なんだろうな。
しかも、マスコミ、横並びなところが恐ろしい、というか、均質すぎる。
ぼくは、肩書きなんて、一切要らないと思うけど。人間は人間だから。
今まで心を温かくしていたものの正体は
2045年問題。この年、人工知能が人類の能力を超えるという予測があり、さまざまな問題が起こるといわれています。コンピュータの技術やスペックが指数関数的に発達するとツールも人間以上に優秀になるでしょう。
現時点では、ツールを使ったコメントが入ると、違和感があり見抜くことができます。というのは嘘で見抜けないと思います。たとえば、下の文章をブログをはじめたばかりの人が書き込んだら、それはスパムでしょうか。
たぶんツールとかスパムに認定されると思います。人の書いた稚拙なコメントをツールと間違えるとしたら、逆にPCが自動的に作ったコメントでも文脈に沿っていれば人間が投稿したものと思うでしょう。おそらく頻度と内容しか見ていない。
これからのツールは本文のキーワードや先に入っているコメントを参照して、記事の趣旨を評価するようになります。どんなコメントを作り、書き込めば良いかという精度が上がります。ネガティブ話題には相手に寄り添うコメント、不幸にはお見舞いを書くでしょう。
結果、機械的に書き込まれたコメントか、そうでないかがわからなくなります。読解力が貧弱で空気の読めない人間のコメントの方がツールみたいに見えるかも知れません。否、ツールならもっとマトモな文章のはずだから、これは人だろう、とか。
人が書いたコメントとツールコメントの判別がつかなくなったとき、私たちはどう反応するでしょう。「最近ツールコメントがつかなくなったね」と誰かとメッセージのやりとりをしていたら、その相手がツールだったりしてね。
人の心は相手が機械だと知ったとたんに冷めるのでしょうか。冷めるとしたら、今まで心を温かくしていたものの正体はいったい何だったのでしょうか。
他人の記事はうわの空。みんな自分が何を書くかに夢中――。
物事はプレイヤーが多くなると観客は減る傾向にある。私が子供の頃はカラオケもたいして普及していなかった。当時は通信カラオケはなく、ソフトは大盤のレーザーディスクで収録曲も有名なヒット曲に限られていた。
カラオケの出始めに歌いはじめた人は、歌に自信のある人で、やはり上手だったし、聞き手も今よりずっと真剣に聞いていたように思う。昔は、素人が他人に自分の声を聞かせることに恥ずかしさもあった。
ところが、カラオケが娯楽としてひろまると、上手いヘタに関係なく誰もが自分が歌うことに夢中になった。他の人が歌っている間は、自分が次に歌う曲を探すのに必死。歌が終われば拍手をするが聞いてはいない。
プレイヤーが増えると観客は希少になる。
これはブログにもいえないか。昔は、文章を書き発信する人は珍しかった。黎明期に書いている人は、何かしらの分野の専門家で情報価値の高いものを発信していた。書き手が少ない分、書いている人はその道の上級者が占めていた。
今では誰もが気軽にブログを開設し記事を投稿する。PCだけでなくスマホからでも容易に自分の体験や思考を投稿できるようになった。このこと自体は悪いことではない。だけど皆がプレイヤーになることでカラオケ同様、観客が少なくなった。
ブログも書き手が増えて読み手が不在になっている。特にアメブロ。毎日、記事を投稿する書き手は多いが、読み手はほとんどいない。カラオケの拍手のように最後に「いいね!」だけ押しているようにも見える。
他人の記事はうわの空。みんな自分が何を書くかに夢中――。
大げさと控えめと・・
北朝鮮が、予定されている米韓演習について、やや大げさな表現で「警告」を出しているというニュースが今朝流れていました。
「衛星」の打ち上げの時もそうですが、北朝鮮のメディアは、大げさな表現がお好きなようで、どのような文化的な背景からそうなっているのだろうと、いつも興味を持ちます。
その点、英国は、逆に、「控えめな表現」(understatement)を尊ぶ文化があり、とても凄いことをやっていても、「たいしたことない」「ちょっと良いものができた」くらいにしか言いません。
ワトソンとクリックの有名なDNAの二重らせん構造の論文も、最後に、著者たちは「この構造が、遺伝子のメカニズムについてある示唆を与えることに気づいている」と控えめに言っただけでした。
英国のunderstatementの文化は、私は素敵だと思うのですが、北朝鮮がいつも大げさな表現を使うのも、一つの文化で、文化相対主義の立場から言えば仕方がないのかもしれません。
慣性
はじめてしまうとやめるのは苦労する。静止しているものは静止しようとし続け、動いているものは動き続けようとする。慣性が働く。
本当は費用と便益を秤にかけて判断したほうが良い。でもなかなかできないのが人間の性(さが)だと思う。
そこ、ヤバい!もうやめられない|インパクトのある広告の作り方│1.73BLOG
もう「忘れなきゃ」と思ううちは…
数年前「青い象のことだけは考えないで!」という本が出版されました。こう言われると、かえって「青い象」のことを考えるのが人情。次の実験で、このような心の働きが明らかになりました。
実験は2つ。どちらも5分間「シロクマ」について自由に発想してもらいます。ただし最初の実験は、いきなりシロクマに関する想起をしてもらい、あとの実験は「シロクマについて考えないで」と指示し、5分の時間を置いてから想起をはじめてもらいます。
結果、シロクマの想起が多かったのはどちらでしょうか。答えは、あとの考えないよう指示してから想起させたほうでした。忘れようと意識するのは考えることと同じ、あるいはそれ以上の効果があるのです。
実験では、考えないようにする時間を設けた後は3倍もシロクマに関する想起が得られました。忘れること、考えないことは意識でコントロールできません。忘れようと努力すると、かえって忘れられなくなるのが脳で、効果も持続します。
さてこの心の働きは「好きなもの」に強く生じます。好きになってはいけないと思えば思うほど、ハマるのが道ならぬ恋。やめようとすればするほど、やめられないのが酒やタバコというわけですね。