おかしな成功体験かも・・
アメリカのケリー長官を含め、G7の外相が揃って広島を訪れたのはすばらしいと思うと同時に、日本との戦争があまりに上手くいったことが、その後のアメリカの無謀な「対敵国方針」につながっているとも思える。
若者が次々と自爆テロをしかけてくる(アメリカからみれば)頭のおかしな民族に見えていた日本が、原爆おとしてコテンパにしたら、突然、親米的な国に豹変し、自国の国際戦略に協力してくれるようになった。この成功体験が忘れられないから、ベトナムやらイラクやらあちこち出張ってって爆弾を落とす。
同じように自爆テロをやめないISについても、武力でボコボコにさえすれば、日本のように、数十年後には親米的な国になると信じてる人もいるのでは?
男女の境
基本的に他人の容姿には関心がないけれど、性別がわからないというのは落ち着かない。あの人は男だろうか、女だろうか、と無意識に観察してしまう。性別の不確かさというのは人の関心を引く何かがある。認知不協和。
性別がわかりにくい時期というのがある。生後まもなくから幼児になるまでと、長寿のお年寄りは性別の判断がつきにくい。神仏には性別はないという。観世音菩薩は女性的だが口元に髭が生えている。
赤ちゃんもお年寄りも神仏に近いところにいるから性別が定かではないのかも知れない。古歌に「幼子のしだいしだいに知恵つきて仏に遠くなるぞ悲しき」というものもある。娑婆気の強さが性別を明確にするのか。
たまに見た目では性別がわからない赤ちゃんを褒めなければならない場面にあう。適当に「かわいいですね」と言っておけば良いのだが、性別をはっきりさせたい。こうしたときは「綺麗な顔立ちですね、女の子ですか?」と尋ねる。
本当は地方豪族のような顔立ちから「男の子」と踏んでいる。しかし着ているものが薄桃色だ。万一ということもある。実際は、万一どころか、三分の一くらいの確率で「はい、そうでしゅよ」とママが答える。やばい、やばい。
逆に、男の子を綺麗な顔立ちと前置きして女の子と間違えるのは気まずさはない。ママに「男の子だよね」と言われても「ボクは美男子になるね」と返せばだいたい笑顔になる。ママには豪族が高貴な王子様に見えているのだろう。
親しみのある「お国なまり」を適度に混ぜても良いと思う
名古屋弁講座。ごく普通に使っていたが、この地方特有の用法だと知って驚いたものに、形容詞の文末の「い」の省略がある。省略することで元の意味を強めたり感嘆の意味をこめたりできる。
例をあげると、安いを「やす!」、辛いを「から!」、暑いを「あつ!」、気持ちわるいを「気持ちわる!」、情けないを「なさけな!」、だるいを「だるぅ!」のように使う。三文字以上の形容詞ならほとんど適用できる。
今では、形容詞の名古屋的用法が全国に広まっているようだ。テレビを見ると若者が普通に使っているし、CMでも耳にする。名古屋由来で全国に普及した言葉というのは意外に多いのではないか。
武家言葉の「ござる」が全国に普及したのも、尾張や三河出身の武将たちが使っていたことに由来するという説がある。ござるは「いらっしゃる」の尊敬語で「北野さんはござるかね?」のように使う。
でも「ござる」は御座候(ござそうろう)という古語があるから、名古屋弁が由来とはいえないか。
さて、ブログは「話し言葉」で書くと良い、という教えがある。そのわりにみんな標準語で書いている。地元客が相手なら、親しみのある「お国なまり」を適度に混ぜても良いと思うが、いかがだろうか。もっと人柄も伝わるはずだ。