awntan_52のブログ

あんなこと、そんなこと、どうでもいいこと。 気まぐれに書いてます。

かつてのイデオロギー対立のような上部構造がない時代

人間の代わりにテクノロジーが変わる

f:id:awntan_52:20160318072902j:plain 啓蒙主義の時代は、終わったような気がしている。その理由は、二つあるのかな、と思う。一つは、グローバル化のもたらした反動のようなもので、要するに、普遍的な価値に対する、反発のような動きが目立つようになった。

国家が主権(sovereignty)を持つというフィクションが、グローバル化の中で脅かされているがゆえの反動として、国家のエゴを追求することに対する恥じらいのない容赦なさが、どこでも起こっている。中国やロシアだけではない。

なぜ、このような時代が啓蒙主義と無関係かというと、かつてのイデオロギー対立のような上部構造がないからだ。もっと、むき出しの生命としての利己性が、大国を含めた国家のモティーフになっている。そのような時代に、人々は慣れ始めてしまった。

加えて、最近感じるのは、テクノノジー、特に、人工知能の発達である。人工知能が、ムーアの法則の波に乗って急速に賢くなったため、逆に、人間が賢くなるべきという淘汰圧が減少して、まあ、そこそこでいいか、という弛緩が生じているような気がする。

人工知能が象徴するのは、システムである。インターネットなどのインフラがしっかりしていれば、大国の大統領候補が少々問題発言連発の道化者でも、まあ、いいか、というような、そんな許容の精神が生まれているように感じる。

啓蒙主義の時代は、人間は変わり得る、という信仰のようなものがあったが、今の時代のエートスは、「人間なんてどうせ変わらない」ではないか。その代わりに、人工知能などのテクノロジーが変わる。人間は一皿のコロッケのような存在になっていくのだろうか。

( °◡°)