awntan_52のブログ

あんなこと、そんなこと、どうでもいいこと。 気まぐれに書いてます。

解決と解釈。

f:id:awntan_52:20160319082708j:plain もうコップの水が半分しかない、あるいは、まだ半分もある。捉え方で人は悩んだり前に進めたりする。実体上は、容器の水量が1/2であることは変化しない。本質的には同じことなのだ。

こう考えると人間の悩みというものは、現実、あるいは実体に対する主観的な反応にすぎないと気づく。解決は、水を増やすことだろうが、覆水盆に帰らず。できないから、皆は悩むのだろう。

それでも多くの人は、悩みから立ち直り、前に歩き出す。問題は解決したのだろうか。否、実体は何も変わらないはずだ。どこかのタイミングで問題に対する解釈を変えたのではないか。

根本的に悩みが解決する例は少ないと考えている。また、解決できるような悩みは、悩みの中でも初歩的で簡易なものだと思われる。

そういう意味で、悩みの解消には、解決ではなく解釈が存在するだけだと考えている。

( °◡°)

なんでこの人怒ってるんだ?とちょっと不思議。

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たまたまタイムラインに流れてきた知らない人の投稿を読んでみました。

こいうバカはとか、こういう低脳な奴はとか、まあ、いいたい放題。

なんでこの人怒ってるんだ?とちょっと不思議。笑

人をバカにしてる記事とか、説教っぽい記事とか、つまらないブログが多くなってきたような気もする。

ブログは自由って言われたらそれまでだし、まあ、本当に自由だと思うから、こちらがどうこういう問題じゃないんですが..

そういうブログを読んで、気づきや刺激を受ける人もいるんでしょうね。

読み手の心理じゃなくて、書き手の心理を考えると、「やりすぎ感のある投稿」を継続し続けないと、特徴がなくなるし自分という存在が薄くなってしまうとか..

それか、かまってほしいとか。そんなところかなと..

怒りや不安が、暴力的な言葉に変わるってのはよくある話で、ネットでは反応が良かったりするんですよね。

でも、その方法で人を集めても、ほとんどの人は、3年か5年かちょっとしたブームで終わると思います。

ワンパターンが飽きてくるのです。

ビジネスでブログを書いてる人は、必ずターゲット客を意識して書いてると思います。

振るいにかけるつもりで、バカと言ってるのか?それともその人がいうバカを集めたいのか?

たまに書き手の心理を分析してみました。

結論はありません。

( °◡°)

愛の育み方を教える事の方が、重要..

f:id:awntan_52:20160331183727p:plain 教育評論家や政治評論家の話が全て正しいという風潮はやだなぁ…あくまでも1つの意見。

男子高校生が交際中の相手と性的行為を行ったという事で、退学に…

退学は重い処分なのでは?

規則を守る事を教えるのも大切だけど…コンドームをしっかりしなさいと教えてあげて欲しい…

多感な時期の恋愛を規則で縛るよりも、愛の育み方を教える事の方が、重要だと思いますけどね..

o( *)o

( °◡°)

「ここだけの話」をする人は、あらゆる場所を「ここだけ」にしてしまう(≧▽≦)

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世の中にはコミュニケーション最重視みたいな人がいて、僕はそういう人が苦手だ。「ぶっちゃけますけど…」「あなただけにはお話しますけれど…」なんて言われると、「いや、ぶっちゃけないで」「みんなに言えないことは僕にも話さないで」とむしろ距離を取るようにしている。

わりと友達の多い、仲間の多い人って、こんなふうに、すぐに腹をわる、心を開いたふりをすることで関係性を築こうとする人が多いように思える。それは悪いことではないと思うけれど、僕にはどうも節操がない、品のない人付き合いの仕方に思えるのだ。

( °◡°)

とりあえず好き嫌いで選ぶという方が、エゴを自覚しているだけ謙虚

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自分を取り巻く人間関係を人の本質で見る、選ぶという理屈が傲慢なのではないか。人間の本質って何ですか。たとえば、約束を守る、という人は、その点において計算できる相手とはいえるかも知れない。しかしそれは本質とは関係ない。
  本質だ、なんて体裁のいいことを言っても、要するに己が好き嫌いではないか。別にそれは悪いことではない。好きな人の指示に従い、その結果、盲目的に、それ以外の人を切っただけだろう。人の本質を見る、という発言がどれだけ傲慢で不遜なことか気づいていないらしい。とりあえず好き嫌いで選ぶという方が、エゴを自覚しているだけ謙虚に見える。
  さて成功者の共通項というと成功者だけのものとミスリードしやすい。そうした特性は、失敗者にも多く共通するものだと付記したい。

( °◡°)

手書き派・タイピング派?

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ちょっとした事情があって会社に始末書を提出した。最初PCでタイプしようとしたら、私の勤める会社は、始末書は直筆だという。親会社の規則に準じた仕様らしい。久しぶりにまとまった文字数を手書きした。


便箋1枚を書くのに30分以上かかった。こういった書類は定型文で構わないが、手書きで文章を考えた。しかし時間をかけたわりには、たいした出来ではない。久々に手書きをして気づいたのは、タイプと手書きでは、文章の質が変わるということ。


私の場合は、PCでタイプした方が早くて内容が良い。手書きすると、文字を書くことに力が入りすぎ、書くことが頭に浮かんでもすぐに文字にできない。ストレスのため雑で稚拙な文章になる。


結局、PCでタイプしたものを下書きにして、それを書写することで仕上げた。二度手間。こうした手間、労力をかけさせる、ということが始末書(反省文)の意義なのかもしれない。馬鹿らしい。


人によっては、手書きで文章を書いた方がスラスラ書ける、という人もいるだろう。これは筆記具にペンを使うのに慣れているか、PCを使うのに慣れているかのちがいだと思う。不慣れなものを使うと思考が制約されるのではないか。


タイピングは早い方だと思う。普通に話す速度、つまりは頭で考えた速度でタイプすることができる。逆に文字を書くのは異常に遅いし下手だ。人それぞれ得意な方法で書けば良いと思う。手書きが得意なら、手書きで書いてからタイプすれば良い。


入試で小論文を書く。もし手書きではなく、PCでタイプするのが認められれば、合否はかなりかわるのではないか。評価すべきはコンテンツだ。手書きだろうがタイプだろうが書きあがるものの質は同じ、という考えは私には当てはまらない。


さてここまでPCでタイプして5分かかっていない。頭に思い浮かんだことを打っているだけだからだ。文字数は約785字。手で書いたら大変なことだ。

( °◡°)