別に文章がまとまっていてもいなくても関係ない
不完全だからひとが惹かれるものがあるという話
ブログなどで、あえて記事をまとめる、うまく収まりをつける必要はないのではないか、と最近は思います。 最近のミステリ小説なんかでも、最後まで読んでもちっとも解決しないものが意外と売れていたりします。 たとえばブログを書くことの楽しさを読み手に伝えたいとします。これこれ、こうだからブログを書くのは楽しいのだ、と理屈立てて言葉にする、これはいかに文章としてまとまっていてもちがうように思うわけです。 楽しさというのは、それに熱中しているひとの姿を、背中を見せることで他者に伝わるのではないでしょうか。 背中を見せることは成果物のクオリティとは全然関係ありません。。別に文章がまとまっていてもいなくても関係ないわけです。なんだかよく分からないけど、この人は楽しそうだな、と他者が感じられる。これが伝わるということです。 文章のまとまりや完成度では伝えられないものがあり、不完全でも、不完全だからひとが惹かれるものがあるという話。ということでノープランでここまで書いたが楽しさが伝わっただろうか。
( °◡°)